2026/08/21号 4面

南の認識論

南の認識論 ボアヴェントゥーラ・デ・ソウザ・サントス著 出口 剛司  本書は、「南の認識論」という独自の理論構想の下に執筆された、実践のための著作である。著者はポルトガルの社会学者B・デ・ソウザ・サントス。四〇〇頁を超える大著であり、さまざまな文脈から提案される諸概念を正確に追跡することには大きな困難が伴う。しかし、批判的な社会理論に関わる研究者にとっては必読の書である。  本書の中心的な命題は次のように表現できる。「世界的な認知的正義なくして、世界的な社会的正義はありえない」。つまり、社会的不正義を克服するためには、政治制度や経済構造だけでなく、何が正当な「知識」として認められ、何が「無知」として排除されるのか、認識における排除の構造そのものを問い直さなければならないという主張である。そのための知的実践の導きとなるのが「不在の社会学」「創発の社会学」「知識のエコロジー」「異文化間翻訳」である。これら著者が独自に設定する四つの理論実践を通して、西洋近代が築き上げてきた支配的認識を批判し、それに代わる認識論的・政治的実践を提示しようと試みることが本書の目的である。  まずその前提として、サントスは西洋近代の認識論を支配してきた根本的原理として、「深淵性思考」を指摘する。深淵性思考とは、世界を一本の境界線によって「こちら側」と「向こう側」に分割し、向こう側を不可視化する思考である。この思考によって、いわゆる西洋近代の普遍主義を体現する人権、民主主義、法治国家などの諸制度は「こちら側」の世界にだけ適用されることになる。逆に「向こう側」=南の世界には暴力や収奪といった植民地主義が横行することになる。このような権力や支配の契機を内包する植民地主義を許容してしまう深淵性思考こそ、正されるべき認識論的な「不正義」なのである。  そもそも世界は、西洋近代の理性的認識をはるかに超える「多様性」を有しており、そうした多様性を回復するために、西洋近代の理性が抱える内なる限界を明らかにする必要がある。こうした役割を担うのが著者の言う「不在の社会学」である。不在の社会学は、世界の多様性を排除し、西洋的知性にのみ正しさや普遍性を付与する仕組みを五つの「モノカルチャー」に求める。これらのモノカルチャーによって、向こう側の世界は消し去られ、存在しなかったものとして扱われる。サントスは、向こう側の生産物がこうした非存在という刻印を押された結果帯びることになる、さまざまな形態を「無知」「残余」「劣等」「ローカル」「非生産的」として論じている。  他方、こうした不在の社会学に対し、いわば対の機能を担うのが「創発の社会学」である。一方の不在の社会学が、現在存在しているにもかかわらず、非存在として扱われてきたものの社会学であるとすれば、他方の創発の社会学は「未来」に向かって、いま、まさに生成しつつある現象を捉える社会学である。それが扱う対象としては、協同組合、地域の共同生産、先住民の運動、環境保護活動、民主的政治参加など、さまざまな現実の社会運動、政治運動が挙げられる。創発の社会学は、不在の社会学に比べ、サントス自身の議論においても必ずしも体系的、詳細に展開し尽くされているわけではないが、実践へと開かれた知のあり方を考える上で極めて重要である。  ただし、本書のねらいは深淵性思考によって分断され順位付けられた「存在」と「非存在」との関係を逆転させることや、一方的に非西洋を賛美したり、逆に西洋を全面的に否定したりすることにあるわけではない。むしろ、あらゆる「知」は必然的に無知を抱え、互いに補完的であるだけでなく、矛盾、葛藤に満ちた関係にある。その限界と可能性を表現する概念として「知識のエコロジー」「異文化間翻訳」が提示されている。そもそも、知というものは、それが成立する前提条件と強く結びついた自明性の罠や「無知」を必然的に抱え込んでいる。不可避の限界の下で、さまざまな知が限界と可能性を含みつつ分布する。そして「知識のエコロジー」において、知は他の知へと認識論的に結びつけられ、「異文化間翻訳」を通して、知と知、知と運動との連帯が実現する。これらの知識のエコロジーと異文化間翻訳が、「南の認識論」の主要な構成要素である。その詳細については、本書を手にする読者に委ねたい。  本書は、さまざまな形で主張されてきたポストコロニアリズムの議論に対して、新しい実践的、認識論的な地平を切り拓く可能性をもっている。とくに、社会的不正義の土台にある認識論的な不正義を見出し、非認識と認識、認識と実践との溝を架橋する新たな認識論的な正義の概念を提唱している点は興味深い。しかし、フランクフルト学派の系譜にある批判理論に長く関わってきた評者としては、西洋思想の内部にある個別の批判的な理論実践と著者の言う「南の認識論」との間に、どのような対話、翻訳、連帯が可能なのか、そのとき、知のエコロジーはどのような姿を見せるのか、本書において未だ十分に展開されなかった点が惜しまれる。むろん、そのための布石は本書のいたるところに置かれている。その一つの道筋が、アドルノからホネットに至るフランクフルト学派内部の多様な「普遍主義」に双方がどう向き合うか、であろう。  なお、本書の日本語版刊行に際しては、著者をめぐるハラスメント問題について解説で言及されている。その事実が日本語版において明示され、読者がその背景を知りうる状況にある以上、本書を手に取り、その理論的貢献と限界を批判的に検討する可能性まで閉ざすことには評者も躊躇を感じる。本書は、現代社会における知識・権力・正義の関係を根底から問い直す意欲的な理論書であり、日本の読者にとっても、その主張を受容するにせよ、批判するにせよ、けっして無視することができない一冊であることは疑いえない。(北野収訳・松下冽解題)(でぐち・たけし=東京大学教授・理論社会学)  ★ボアヴェントゥーラ・デ・ソウザ・サントス=ポルトガル生まれの社会学者。コインブラ大学名誉教授。著書に『グローバル・レフトの曙』(未邦訳)、共著に『21世紀の豊かさ』など。一九四〇年生。

書籍

書籍名 南の認識論
ISBN13 9784588603846
ISBN10 4588603841