本のある場所を訪ねて
南陀楼 綾繁著
堀川 夢
将来、地元で個人書店を開こうと思っている。書店がどんどんなくなって「本が売れない」を体現しているような地方都市の駅前に、自分の暮らすまちを居心地悪く感じてしまう人のための居場所となるような、素敵な本屋さんを作りたい。でも何から始めればいいのだろう。本はどうやって選ぼう。本当に実現できるのだろうか。
こんなふうにぐるぐる考えている私の大きなヒントとなるような「本屋の先輩」たちがたくさん紹介されているのが、井上理津子『本屋百景 独立系書店をめぐりめぐる』(以下『本屋百景』)と、南陀楼綾繁『本のある場所を訪ねて』(以下、『本のある』)だ。
『本屋百景』は《日刊ゲンダイ》連載コラムの書籍化で、老舗から新しい書店まで、主に首都圏と大阪・京都の百二軒を、書店の雰囲気がわかる豊富な写真とともに紹介している。一方、『本のある』は出版業界紙《新文化》の連載をまとめたもので、個人書店からいわゆる「街の本屋」、個人・地方出版社、さらにはさまざまな形で本を届ける「本のビオトープ」をつくる人々まで、とにかく「本のある場所にいる人」三十七組を丁寧なインタビューとともに紹介している。どちらの本にも、ふだん私が編集をするなかでお世話になっている、あるいは顧客としてファンである書店や出版社がたくさん登場し、「こういう方針を持っているから、あんなに素敵なお店なんだな」「ああ、あの人はこんなことを考えて、あの本を作っていたのか!」というおどろきが何度もある。
そういったおどろきのひとつに、両書とも書店に置かれている本の冊数をできるだけ明記してある、ということがある。そういえば、書店に行くとき、そこにある冊数のことを考えてみたことはなかったかもしれない。読んでいると、比較的広い坪数に厳選された書籍が余裕を持って並べられている書店もあれば、小さい敷地にみちみちと本が詰まっている書店もある。お店の場づくり、どんなふうに本を並べて、来店者にどんなふうに本を探してほしいかという店主たちの願いや思想が表れているのだろう。
また、どの書店も、どの出版社も、実に気持ちよく他社・他店の名前を挙げる。ライバルであるはずだ(し、実際のところライバル的な切磋琢磨の関係もあるかもしれない)が、それぞれが先輩の書店や元修業先、気になっている同業者にリスペクトを持っているのが存分にうかがい知れて、こんなに素敵な先輩たちがいるのなら……と書店開業の妄想を楽しくふくらませてしまった。
小さな個人書店の胆力、本の力への信頼を受け取ることもできる。『本屋百景』では吉祥寺の〈古書 防破堤〉が「これは」と思ったリトルプレスを二十〜三十冊仕入れる話や、大阪の〈toi books〉の「百冊仕入れ」などが紹介されている。光る本を見つける目の鋭さ、限られた予算をガツっと投資して、良いと信じた本を大部数仕入れる思い切り、それをきっちりと売り、読者に届けていく力、どこをとってもかっこよく、編集者として「生半可な本を作ることはできない」「この人に選ばれる本を作りたい」と身の引き締まる気持ちになった。
『本のある』に掲載された、里山社・清田麻衣子さんのインタビューにはハッとさせられた。二〇二二年に福岡に拠点を移した同社の、人の経験を丁寧に本にしていく編集方針が語られているのだが、ここで、出版業界にもある地方と東京の不均衡が浮き彫りになる。「東京から福岡に来て驚いたのが、『編集者にはじめて会いました』と云われることがとても多かったことでした」(一九七頁)、「キャッチコピーの付け方や、企画の立て方が、どうしても東京目線に寄りすぎているんじゃないかという思いは以前からありました」(二〇二ページ)。確かに、編集者の私自身、就職活動を始めるまでは「編集者」に会ったことがなかった……。私の所属する出版レーベルで作っている「地域SFアンソロジー」も、同じような気持ちで作っている。でも、もう十年以上東京にいるので、知らないうちに偏りに加担しているのだろう。「中央以外」の目を失ってはいけないと感じさせられた。
両書ともとにかく本への愛にあふれており、「本屋をつづけたい、本を届けたい」というエネルギーを発している。こんなに素敵な「先輩」がいるならきっと大丈夫、と、書店への夢を前向きに抱き直すことのできる本たちだった。(ほりかわ・ゆめ=編集者・翻訳者・ライター)
★いのうえ・りつこ=ノンフィクションライター。一九五五年生。
★なんだろう・あやしげ=ライター・編集者。一九六七年生。
書籍
| 書籍名 | 本のある場所を訪ねて |
| ISBN13 | 9784866241289 |
| ISBN10 | 4866241284 |
