2026/05/01号 6面

かみ派の美術

かみ派の美術 木内 真由美・細谷 修平・大司 百花・古家 満葉編 宮田 徹也  いわゆる日本戦後美術の展覧会は、関東では近年、千葉市美術館「未来/追想 千葉市美術館と現代美術」(二〇二五年八月二日~一〇月一九日)、東京国立近代美術館「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(二〇二五年七月一五日~一〇月二六日)、国立新美術館「時代のプリズム:日本で生まれた美術表現 1989~2010」(二〇二五年九月三日~一二月八日)などが開催された。  研究書は、富井玲子『オペレーションの思想』(イースト・プレス、二〇二四年十一月)、細谷修平編『反万博の思想 加藤好弘著作集』(河出書房新社、二〇二五年五月)、ジャスティン・ジェスティ『戦後初期日本のアートとエンゲージメント』(二〇一八年、山本浩貴訳、水声社、二〇二五年八月)などが相次いで刊行された。  本書もまた、日本戦後美術史の研究の一環をなしている。「かみ派」とは、聞き慣れない語彙である。「はじめに」を読むと、「かみ派」とは一九六〇年代後半、主に長野県諏訪地域に移住していた松澤宥のもとに前衛美術家が集合し、新たなコミュニケーションの在り方を検討する集団だった。「彼らは「ことば」と「行為」をメディアとして、各々が独自のアートワークを切り拓いていくこととなる」(四頁)。  松澤宥(まつざわ・ゆたか、一九二二~二〇〇六)とは「コンセプチュアル・アーティスト。長野県生。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、詩作活動開始、絵画、オブジェを手がけた後、一九六四年より言葉やパフォーマンスを主体に活動を展開。代表作に『量子芸術宣言』(一九九二)など」(「用語編」監修:多木浩二、藤枝晃雄『日本近現代美術史事典』東京書籍、二〇〇七年、五八四頁)。この世界では、活動当初からカリスマであった。  「本書は紙を多用する「かみ派」、あるいは「ニル派」と呼ばれた彼ら「ニルヴァーナ・コミューン」の芸術表現とその相互関係性を、残された作品と資料から顧みることで、表現者たち個々の営みと思想的展開の可能性を検討するものである」(同頁)。  紙を素材とするだけではなく、言葉を記し雑誌などにも掲載する意味なのであろう。本書を捲っていくと、ハプニング、イベント、パフォーマンスが多数を占めていることに気付く。  日本の身体表現の研究は、黒ダライ児『肉体のアナーキズム 1960年代・日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈』(グラムブックス、二〇一〇年九月)以前は、針生一郎編著『現代の美術11 行為に賭ける』(講談社、一九七二年四月)しかなかった。本書は、黒ダの延長線にある。しかし、かみ派とされる古沢宅は暗黒舞踏に深く関与していたので、前衛音楽、アングラ演劇を含む総論を読み解き、書ける者はいるのだろうか。  本書の目次に目を向ける。木内真由美「諏訪につどった表現者たちの記録をひらく1969-1974」「表現者たちのつどい」「表現者たちの姿」「現代思潮社美学校 諏訪分校」「論考」(橋本梓、大司百花、古家満葉、伊村靖子)、「表現者たちの声」(芦澤泰偉、田中孝道)細谷修平「新たなる旅立ち」となっている。「巻末付録」として「世界蜂起」(一九七一年)「世界蜂起」(一九七二、三年)、「カタストロフィー・アート」が当時の雑誌から採録されているので、かみ派が全国の個人にも届けられていたことが理解できる。  「表現者たちのつどい」を見ると、かみ派の展覧会、イベント、記録集、写真などが解説されている。ヒッピーの集落とは一味違った雰囲気である。「表現者たちの姿」を辿ると、二二人と二つのグループが確認できる。青木靖恭は一九一九年生れ、斎藤俊徳と宿沢育夫一九四八年生れと見ると、かみ派には、様々な世代が居たことを理解できる。あさいますおは一九六六年、既に没。杉村俊明、春原敏之、田中孝道、芦澤泰偉、鈴木裕子は健在の様子だ。  かみ派の深みを、是非、本書を手にして確かめて戴きたい。様々な発見があるに違いない。(みやた・てつや=名古屋芸術大学非常勤講師・芸術批評者・日本近代美術思想史)

書籍

書籍名 かみ派の美術
ISBN13 9784801008960
ISBN10 4801008968