2026/09/25号 4面

インターセクショナリティと関係精神分析

インターセクショナリティと関係精神分析 マックス・ベルキン/クレオニー・ホワイト編 岡村 斉恵  きわめて刺激的で示唆に富む一冊である。理論的には腑に落ちないところもあるのだが――それにもかかわらず、いや、それゆえに。  本書の特徴は、九つのエッセイにちりばめられている臨床事例やエピソードの充実である。誠実な臨床的姿勢もさることながら、場面の切り取り方やまとめ方が巧みで実に面白い。社会問題への関心から本書を手に取る読者にとってはとくに、加害を受けた苦しみがプライベートに語られる様子は他書にない魅力となるだろう。また精神分析に関心を持ち心理臨床に携わる読者であれば、インターセクショナリティをはじめ、人種やジェンダーの問題に意識を向けるための良い契機となるだけでなく、関係精神分析の方法への理解を深めるうえで大いに役立つ。  米国を中心に隆盛する関係精神分析は、二〇世紀にその地で栄えた精神分析の権威的なありようを批判的土台とする。関係精神分析の言説は、批判すべき権威主義の「悪しきもの」と、目指される公平かつ対等な関係の「善きもの」の二極を持つ軸の上で語られている。これが本書においては、加害性や差別主義、そしてそれらへの無知や否認を「悪しきもの」として、公正な関係という「善きもの」の実現を目指す社会正義を志向する軸と重ねられており、その共振が双方の領域で深みをもたらしている。  執筆するのは、編者二人を含む十名の現役臨床家である。多くは、ウィリアム・アランソン・ホワイト研究所をはじめとするニューヨークの関係精神分析の拠点で指導的立場にある分析家たちだ。ただし本書で肩書き以上に意味を持つのは、それぞれが名乗る出自である。編者のベルキンは白人のユダヤ系のゲイ男性で、ロシアからの移民である。もう一人の編者ホワイトはジャマイカ出身の黒人女性の分析家である。この組み合わせが本書の見取り図であり、彼らは中立で匿名の専門家としてではなく、特定の人種、ジェンダー、セクシュアリティ、移民史を生きる当事者として面接室に座り、自己開示も駆使して患者との作業を進めていく。  本体は四部九章からなる。第Ⅰ部「クィア・アイデンティティ」の冒頭の章で、ベルキンは有色のストレート女性アナとの治療を描く。アナはゲイである治療者を「特権を当然の権利として生きる白人男性」と見て、治療者は内心「なぜこのストレートの女性が」と憤る。互いが互いの周縁性を見えなくし合う応酬からの変容は本書全体の基調をなす。続くサケトポロウは、ジェンダーの多様性と病理との混同を戒めながら、過酷な逆境に育った黒人のトランスジェンダーの子どもとの治療を扱う。患者自作の「長髪のかつら」をめぐって、長髪の意味とイメージが「名づけ」によって一転する展開が鮮やかだ。第Ⅱ部「女性の性的搾取」では、ポコックが売春をめぐるフェミニズムの論争を外傷と解離の臨床から捉え直し、ユダヤ系白人であるグランドは、見た目には「白い」アフリカ系アメリカ人の女性分析家のもとでの自らの分析体験を書き、自身の内なる人種主義に向き合う。患者の側から転移を書くこの方法が、「人種」にカテゴリー化を超えた奥行きを与えている。第Ⅲ部「移民体験」では、トゥンマラ=ナラが移民一世と二世のあいだの溝を発達的な眼で描き、ホワイトは、ジャマイカの音楽の豊かな歴史を広げ、同郷の患者との関係を通して「移民」の可能性を文化的な複雑性として取り出し、「第三の、転覆的で、反植民地的な衣服」としてまとっていく。ホワイトが自己の作業を経たのちに謝罪という形で自己開示し、患者が驚き揺さぶられる場面は感動的だ。第Ⅳ部「臨床理論」には、社会の不平等が面接室で無意識に反復される過程を論じるレイトンの「規範的無意識過程」、ラプランシュとクレンショーを接合するレヴィットとハリス、そして非線形力学系の比喩で全体を締めるアルトマンの三章が並ぶ。見えにくく隠れ続けるのは階級だ、という最終章の指摘は印象深い。  冒頭に書いた、本書に感じる馴染まなさについて記しておきたい。要点は二つあると思われる。一つは、インターセクショナリティ(交差性)そのものというより、その前提である高度なカテゴリー分類化である。ベルキンが引くアルスの言葉を借りれば「アメリカはカテゴリー化する国に他ならない」。本書は、生き生きとした臨床描写の一方、その説明としてのカテゴリー化の連打には息が詰まる。  二つには、出自と無意識を含む個人のアイデンティティが一式で決まってしまうことである。黒人であれば黒人アイデンティティが期待され、ユダヤ人には迫害の歴史のアイデンティティが期待される。そこから自由になるためには別のカテゴリーを持ってくるしかない。そして、周縁性のカテゴリー化も、交差性の召喚も、要請されることになる。個人の無意識と社会とがこのようにパラレルに続くという感覚は、正直に言えば、私には馴染まない感覚、異文化であった。  それでも、本書の最も崇高なところは、著者らが「社会正義の実現」という善に実感を持ちながら、その理想に実直に向きあう姿勢である。差別という歴史的現実に組み込まれた巨大なものを前に怯むことなく、切り結ぼうとすること。その困難な共同作業が、面接室の二人のあいだで確かに実を結んでいく。現在の米国において、まだ実現しない正義を心に抱き続ける分析家たちが、面接室でその実現に挑んだ実録である。  最後に、本書には監訳者による詳しい解説と、誠実な訳者あとがきが付され、読み方の指針となっている。日本にさまざまな差別や因習が根深いことは言うまでもない。「日本人」であることで付与されるマジョリティへの無意識的な帰属感、同調圧力の背景にある異なるものとの結べなさを考えるうえでも、差別と支配についての無知と否認を手厚く支える日本文化の中で読み手ひとりひとりが目を凝らすうえでも、本書は多くの気づきをもたらしうる視点に満ちている。(執筆=ニール・アルトマン/マックス・ベルキン/スー・グランド/エイドリアン・ハリス/リン・レイトン/ジェリー・レヴィット/ハンナ・ポコック/アヴギ・サケトポロウ/プラチューシャ・トゥンマラ=ナラ/クレオニー・ホワイト)(北村隆人監訳・森真治・関理江・山岡亜里紗訳)(おかむら・なおえ=精神科医・精神分析家・公認心理師)  ★マックス・ベルキン=ウィリアム・アランソン・ホワイト研究所フェロー。  ★クレオニー・ホワイト=同研究所フェロー。

書籍

書籍名 インターセクショナリティと関係精神分析
ISBN13 9784409340677
ISBN10 4409340670