新自由主義権力と抵抗
佐藤 嘉幸著
近藤 和敬
新自由主義権力による統治とは、単純化してしまえば、資本=市場の論理原則をすべての人間、すべての人間関係、すべての場所において適用可能にするよう拡大していくことによる統治である、といえるだろう。
本書『新自由主義権力と抵抗』は、このことを、理論的背景、歴史的背景、現実政治分析の主に三つの軸から明晰かつ明快に教えてくれる。本書の初版は、『新自由主義と権力』という題名で2009年に出版されたものだが、全体において随所で加筆修正され、特に第二部は2011年の3・11以後の様々な政治運動の著者の経験を踏まえて大幅に改定されていることもあり、むしろ、とりわけイスラエルのガザ侵略、イスラエル=アメリカによるイラン戦争という今日の現実を眼前にしながら読むと、まったく古くないどころか、むしろ今こそ読まれるべきものであるという印象を与える。
新自由主義権力とは、本書の第一部で詳細に議論されるように、フーコーの権力概念分析を踏まえて、それが十分に展開することのできなかった1989年以後の、つまりは東西冷戦が終わり、いわゆる(市場の)「グローバル化」が前景化し、湾岸戦争を経て2001年9月11日のテロ事件に至り、世界が対テロ戦争へと雪崩を打っていく現在を分析するのに必要な権力概念として提案されたものである。では、新自由主義権力とは何かといえば、それは冒頭で述べたことであるが、その特徴を著者はとりわけ「環境」への介入技術にあると指摘する。たとえば以下のような文言を本書では読むことができる。
新自由主義にとって競争は自然発生的には存在しない。従って、新自由主義は環境を形成するゲームに介入し、競争がその内的論理に従って展開されるよう制度を設計し、それによって環境を最適化しようとする。ここでフリードマンは、本質的に規律権力の担い手である国民教育という領域に介入し、競争原理の設定によってそれを市場化し、最適化しようとする。従って、ここで彼が定義しているのは、国民教育という規律権力の「市場化」なのである。(70頁)
まさに現在国会で審議されている高校無償化と重なるのだが、実際、先行して行われている大阪府での高校授業料無償化の政策は、まさに国民教育の「市場化」を見事に推し進めた成功例の一つといえそうだ。歴史的にみれば、19世紀の古典的自由主義から20世紀前半のケインズ型の福祉社会国家をへて、オルド自由主義での実験を介した現在の新自由主義権力の全面展開は、いわば国民国家という装置が、国際市場における資本蓄積競争のフェイズの移行と連動して、資本蓄積の手段として従属化していく過程であるように見える。実際、なんの留保もなくすべてが資本蓄積に資する「競争」へと駆り立てることこそが、新自由主義権力の技術であるとすれば、それに歯止めをかけるものは、既存の装置のなかにはもはやないことになる。このことを我々は、あらゆる場面で毎日見せられている。
本書の第二部はこのような現実にたいしてわれわれはいかなる「抵抗」の理路を描くことができるのかということを、バトラーの『非暴力の力』やネグリ=ハートらの『アセンブリ』(またバトラーの同名の別書)を紐解きながら検討していく。このことについては以下のような文章を見ることができる
マイノリティのおかれた不安定な「状態」を目前にすることで、マジョリティがそれに触発されてマイノリティ性へと生成変化=脱服従化し、マイノリティも自らの不安定で服従化された「状態」に止まることなく生成変化=脱服従化して、両者がともに不安定性に対抗するアセンブリを形成すること――そのような実践こそが、権力装置による主体化=服従化とその再生産に、さらには社会的排除のメカニズムに抵抗しうる、集団的脱服従化の実践なのである。(232頁)
このような「絶対的な平等」を要求する係争のために立ち上げられる「集団的主体へと生成変化すること」が、「服従化と社会的排除の権力に抵抗しうる新たな集団的アレンジメント」(238頁)を形成することになるのであり、それこそが求められることを本書は明らかにしているといえるだろう。(こんどう・かずのり=大阪大学教授・哲学・人間学)
★さとう・よしゆき=筑波大学准教授・哲学。著書に『権力と抵抗』『新自由主義と権力』など。一九七一年生。
書籍
| 書籍名 | 新自由主義権力と抵抗 |
| ISBN13 | 9784409041352 |
| ISBN10 | 4409041355 |
