- ジャンル:文学研究・評論
- 著者/編者: アントワーヌ・コンパニョン
- 評者: 菅谷憲興
パリの屑拾い
アントワーヌ・コンパニョン著
菅谷 憲興
フローベールの遺作『ブヴァールとペキュシェ』(一八八一)の冒頭、まだ遺産が転がり込む前のこと、勤め人の境遇に嫌気がさした二人の主人公が自らの運命を呪って、「いっそ軽業師か屑拾いにでもなりたいものだ」と口にする場面がある。初めてこの小説を読んだ時から、一体何故ここに屑拾いが出てくるのか、正直不思議に思っていた。自らの芸で生きる(いわばフリーランスの!)軽業師が自由・独立を体現しているというのは容易に納得できるとして、屑拾いはむしろ貧困の象徴であり、羨むような存在ではなかったのではなかろうか。
評者にとっては、この長年の素朴な疑問に対する答えを与えてくれたのが本書である。著者は日本でもすでに多くの翻訳のあるアントワーヌ・コンパニョンであり、いつもながらの博識ぶりにはあらためて驚かされる。文化史・社会史の領域にまたがる本としては当然だが、扱われるのも十九世紀の文学にとどまらず、版画や写真といった図像、新聞・雑誌などのジャーナリズムの言説と多岐にわたる。とはいえ、分析の焦点となるのはあくまで文学作品の緻密な読解であり、特にボードレールのいくつかの詩篇の読み直しが図られている。以下、かいつまんで本書の内容を紹介していこう。
産業革命後、未曾有の再生利用社会の出現を背景に、屑拾い業が脚光を浴びた一時期がある。具体的には一八二〇年代から七〇年代まで、それもほとんどパリ独特の現象であったという。家庭ゴミの収集におけるゴミ箱の使用が法令化される以前、パリでは生活廃棄物を道路の車輪よけ石の隅に捨てるのが常態化しており、屑拾いはゴミから資源を再調達する上でも、また都市清掃の観点からも、文字通り必要不可欠な存在であった。このような特殊な歴史的文脈の中で、背負い籠を背に、手には角灯と鉤棒を持って夜の街を彷徨する屑拾いの姿に、職業の実態とは多少ともかけ離れた様々な神話的意味が付されるようになったというのは確かにうなずける話である。
この時代に屑拾いに与えられた相互に矛盾するイメージの中でも、最も分かりやすいのは、ディオゲネスにも似た哲人のそれであろう。ブルジョワ社会のしきたりから逃れて、自由気ままに街路をうろつきながら、哲学的思索をめぐらす屑拾いというイメージは、まさにフローベールの二人の主人公が抱いていたものであり、十九世紀に特有なものだ。とはいえ、しょせんこれは伝説にすぎず、現実には多くの屑拾いが前科者やナポレオン軍の元兵士であり、しばしば警察の密偵を務めることもあったことが知られている。要するに、ある種の社会的神話が示唆するのとは違って、屑拾いはおおむね政治意識にかけ、マルクスが「ルンペンプロレタリアート」や「ボエーム」と呼んだ曖昧な階級に属していたのである。彼らが労働者階級と利害を共有していなかったことは、パリ・コミューンの闘士ジュール・ヴァレスが屑拾いを反動分子として嫌悪していたことからもうかがえる。
ところで、屑拾いの作業が拾い集め、選り分けることにある以上、作家の身振りとの類似は明らかであろう。実際、「文筆家屑拾い」というレッテルが、当時おもにジャーナリズムの書き手を揶揄して用いられていたようだ。時にはユゴーのように、作家自身が自らの創作行為に言及するにあたって、ペンと鉤棒との等価性をもちだすこともあった。この点、ボードレールの詩「太陽」に出てくる「奇妙な剣技」という謎めいた表現をめぐるコンパニョンの分析(第10章)は本書の白眉であり、屑拾いがゴミの中をかき回して宝を探す行為に詩人の営為が重ねられるさまが見事に解明されている。さらに、屑拾いと作家の近親性という意味では、両者の間に経済的な連帯があったことも忘れてはならない。そもそも屑拾いの黄金時代は、製紙業が原料としてのぼろ布の枯渇に苦しんでいた時期と正確に一致しており、木材由来のパルプが紙の材料として使われ始めるやいなや、この職業が決定的に衰退したという事実は象徴的である。少なくとも十九世紀半ばの五十年ほどの間、出版産業は屑拾い業に依存していたのであり、作家と屑拾いは持ちつ持たれつの関係にあったのだといえよう。
このように本書は、十九世紀フランス文学・文化において屑拾いという特異な形象がもっていた重要性とその歴史性を解き明かして間然するところがない。個人的には、『アンチ・モダン』のような同じ著者の他の著作と比べて、露骨なイデオロギー臭がしないところも好感がもてた。それでも一つだけ違和感を覚えた点をここに記しておきたい。終章によれば、本書の出発点の一つはベンヤミンのボードレール論に対する批判だという。問題はここで批判の対象となっているベンヤミンの説があまりに単純化されている点だ。ベンヤミンが「ボードレールの社会主義という自分の固定観念に惑わされ」ているという指摘は、たとえばこの批評家が「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」において、詩人をボエームというカテゴリーの下に、それこそナポレオン三世の取り巻き連にも似たぬえ的な存在として描き出していたことを思えば、いささか不当ではなかろうか。もちろんフランスにおけるベンヤミンの受容の問題もあるだろうが、第7章末尾に読まれる次のような言葉、すなわちボードレールの屑拾いへの共感は、両者がともに「過去の方を向く存在である」ことに起因するという少々強引な結論を読むと、やはりこの本の著者の拠って立つ特殊なスタンスというものを意識せざるをえない。
最後に、図版の素晴らしさにも触れておきたい。原著はカラーであり、さすがに翻訳では白黒になっているものの、それでもすべての図版を収録したことをよしとしたい。翻訳も正確で読みやすく、良心的な仕事である。(北原ルミ訳)(すがや・のりおき=立教大学教授・フランス文学)
★アントワーヌ・コンパニョン=フランスの文学研究者。専門はフランス文学・比較文学。ソルボンヌ大学教授を経て、現在コレージュ・ド・フランス名誉教授・コロンビア大学教授。二〇二二年よりアカデミー・フランセーズ会員、二〇二三年より日本学士院客員。著書に『近代芸術の五つのパラドックス』『第二の手、または引用の作業』『アンチ・モダン』『文学史の誕生』『文学をめぐる理論と常識』『寝る前5分のパスカル』など。一九五〇年生。
書籍
| 書籍名 | パリの屑拾い |
| ISBN13 | 9784815812393 |
| ISBN10 | 481581239X |
