2025/10/24号 2面

存在論のフロンティア

セバスチャン・ブロイ、井頭昌彦、田中祐理子編著『存在論のフロンティア』を読む(渡名喜庸哲)
セバスチャン・ブロイ、井頭昌彦、田中祐理子編著 『存在論のフロンティア 自然・技術・形而上学』を読む 渡名喜 庸哲  往々にして、哲学のシンポジウムの発表をあつめた論集はそれほど興奮を誘うものではない。各々の分野のルールに則り、専門家のみが知る学説が説明なく出てきて、それでいて全体の統一感がなかったりもする。ところが、二〇一九年にドイツで行われた国際シンポジウムをまとめた本書『存在論のフロンティア』は、扱われる対象は多種多様で――「ソーシャルメディア」から、科学史家アレクサンドル・コイレを経て、「東洋的無」にいたる――、各論はかなり専門的であるにもかかわらず、きわめてワクワクさせてくれるものである。それはなにもマルクス・ガブリエルというスター哲学者が主催者の一人をなしているからではない。いま、「私たち自身」が考えるべきことについて、きわめて多様な観点から論者たちの熱のこもった議論が交わされているのがありありと伝わってくるからである。日本からの論者だけでも、科学史の田中祐理子、分析哲学の井頭昌彦、現象学の景山洋平、中世哲学のアダム・タカハシ、日本思想の板東洋介と、日本における「学会」でも一堂に会することは滅多にない気鋭の研究者たちが、ガブリエルをはじめとするドイツやイタリアの哲学研究者とともに、多声的に一つの作品を作り上げる。具体的な一つのテーマが定められているわけではないが、ガブリエルの提唱する新実在論が共通の磁場となっているとも言える。ただしそれをめぐって細かな解釈を提示するのではなく、各々のフィールドから、ときには容赦ない批判も含め、個性に富んだ議論が交わされるのだ。  内容を簡単に紹介すると、第一部「技術と存在論」では、ガブリエルの「デジタル化革命」をめぐる論考に続き、ハイデガーやシモンドンらの「技術」をめぐる存在論的な哲学が現在のわれわれのテクノロジー的な布置を考えるためにどのように読み返されるべきかが論じられる。第二部「技術と生命の倫理学」ではソーシャルメディアや芸術といった主題が現代哲学の観点から捉え直される。第三部「自然の概念と「私たち自身」の歴史的存在論」では、「原子」や「数学的世界」といった「自然」に対し、「私たち自身」がどのように関わるのかが問われることになる。  こうした議論の各々において、先述したガブリエルの新実在論はもとより、カンタン・メイヤスーを筆頭とする思弁的実在論、ユク・ホイの技術哲学が言及されるのは当然だが、ヨーロッパからの登壇者たちの論考では、日本ではあまり知られていない議論の数々を学ぶことができる。  ただし、全体を貫いているのは、デジタルをはじめとする現代科学技術の展開と歩調を合わせるようにして「人間」が不在になっていくかのような言説状況を改めて吟味し直すことではないか。とりわけ、井頭による精緻な形而上学的実在論批判、景山による「事実」に対して「関係づけられて」存在する「媒体」としての人間の地位の素描、田中による〈三・一一〉以降にあまりにも前景化した「原子」を「私たち」は「見る」ことができるのかという問いかけは、それぞれの仕方でその問題に合流する。思うに、相関主義を越えることを提唱した思弁的実在論のあとで、新たに「実在論」の問題を考えることは、改めて「相関」のあり方を考えることにほかならないだろう。その「相関」とは、人間と世界とのあいだだけではなく、板東が鋭く指摘するように、西洋と東洋のあいだにもある。『存在論のフロンティア』と題された本書が示すのは、単に現代の存在論的な哲学の最先端の議論ではなく、このさまざまな存在たちの関わり方の諸相、それが他者と接触する境界線=フロンティアの諸相であると言ってみたくもなる。  この意味で、本書およびその元となったシンポジウムを企画した各氏、および登壇者諸氏の功績はきわめて大きい。また、晦渋な議論を読みやすいかたちで日本語に訳してくれた若手の研究者たちの仕事についても明記しておきたい。きっと十年後は彼ら・彼女らがこうした国際的な対話の機会を新たに設けるにちがいない。そして何より、こうした重要ではあるが「収益性」の見込みにくい、それゆえ多くの出版社が躊躇しやすい論集を、しかも新書サイズの読みやすいかたちで公刊することを決意した読書人にも大きな声援を送りたい。(執筆者=セバスチャン・ブロイ、井頭昌彦、田中祐理子、マルクス・ガブリエル、ヒュン・カン・キム、景山洋平、セルジオ・ジェノヴェージ、アレックス・エングランダー、ダヴィド・エスピネー、アダム・タカハシ、ヤン・フォースホルツ、板東洋介)(となき・ようてつ=立教大学教授・フランス哲学・社会思想史)  ★セバスチャン・ブロイ=ベルリン・フンボルト大学講師・科学思想史・メディア技術論。  ★いがらし・まさひこ=一橋大学教授・科学哲学・認識論。  ★たなか・ゆりこ=神戸大学教授・科学認識論・科学史

書籍

書籍名 存在論のフロンティア
ISBN13 9784924671942
ISBN10 4924671940