- ジャンル:哲学・思想・宗教
- 著者/編者: ジョエル・カッパーマン
- 評者: 志野好伸
アジア哲学入門
ジョエル・カッパーマン著
志野 好伸
アメリカの哲学者カッパーマン(一九三六―二〇二〇)が、アジアにおける九つの哲学的テクストを取り上げ、その中心課題を紹介することで、アジア哲学の意義と豊かさを示そうとした書籍である。選ばれた九つの文献は、ヒンドゥー教よりウパニシャッド(第1章)と総称される文献群と『バガヴァッド・ギーター』(第3章)、仏教より『ダンマパダ』(第2章)と英語圏での禅語録集としてよく読まれている『禅肉・禅骨』(第9章)、イスラームよりスーフィーであるイブン・アラビーの『叡智の台座』(第4章)、儒家より『論語』(第5章)と『孟子』(第6章)、道家(日本語訳は、道家思想と道教を区別しない英語圏での用語に従い、Daoismを全て「道教」と訳し、人物を指すDaoistを「道家」と訳している)より『老子道徳経』(第7章)と『荘子』(第8章)である。イスラームを代表して『クルアーン』ではなく『叡智の台座』を選んでいる点など、著者の関心が反映していると言えよう。
そもそも本書は、アジア哲学について基礎的な知識を幅広く伝えることを目的としたものではない。原題はClassic Asian Philosophy: A Guide to the Essential Textsであって、アジア哲学における基本文献についての解説本である。各文献は、もっぱら、哲学的問いに一定の答えを提供してくれる書籍として扱われており、それぞれの文献についての歴史的背景や文献学的知識についての記述はかなり抑制されている。各宗教伝統についてのより包括的な記述を含む類書としては、最近日本語訳が出版されたヒューストン・スミス『世界の宗教』(衣笠正晃訳)が挙げられる。
哲学的問いが前面に出ているからといって、本書は西洋哲学的な問題関心を元に、アジアの文献から利用できそうな部分を抽出してくるといった類のものではない。出発点はあくまでアジアの文献の方にあり、そのテクストの核心的な問い(と著者に思われるもの)を解説する過程で、西洋由来の哲学の視点が発揮されている、と考えるべきだろう。著者は序文で、「西洋に見られる対応物を適切な場合には利用することと、アジアのテクストにおける特徴的で、いわば翻訳不可能な要素を探ること」を指針としているが、この指針は見事に本書を貫いていると言える。ヒュームやカントをはじめとする過去の哲学者のほか、パーフィットやギリガンなど、現代の哲学者の見解も参照されており、古典的文献の問いが今なお生きていることが示されている。
では、本書がアジアの文献から取り出したのは、そもそもどのような問いなのか。本書の第10章で著者は、各テクストはいずれも「人間性の特徴を提示」し、「私たちはどのように生きるべきかについての結論を導き出している」と述べている。その上で、これらのテクストは、分離した個人的な自己が実在するという思い込みを超えて、第二の本性を形成すべきだと提唱していると総括している。著者が「第二の本性」と呼ぶものの内実はさまざまで、理想的な人間像の場合もあれば、人間それ自体を超えた存在を指す場合もある。その上で、評者にとって興味深く思われたのは、前半と後半の議論の立て方の違いである。第1章から第4章までで取り上げられるテクスト群においては、ブラフマンとアートマンとの合一もしくは神と人との合一の問題が主要な話題となっている。第2章で扱われる『ダンマパダ』も、アートマンの存在を否定した議論であることが強調されており、「仏性」をアートマンのようなものとして理解できないことが説明されている。第4章でスーフィズムの文献が取り上げられているのも、このような関連性によるものだろう。一方、中国で生まれた文献を扱う第5章以下では、ブラフマンのような超越的存在を前提することなく、どのように人を理想的生き方へと導くかという問題関心が前面に出ており、例えば儒家については「徳の道徳心理学」として説明がなされている。
アジアの文献を使って哲学的議論を展開したい読者にとっては非常に魅力的な書物である。訳者による推奨文献の補足も、日本語読者にとってきわめて有益な情報提供であることを付記しておく。(藤井翔太訳)(しの・よしのぶ=明治大学教授・中国哲学・中国文学思想史)
★ジョエル・カッパーマン=アメリカ合衆国の哲学者。専門は倫理学、価値論、アジア哲学。著書に『倫理的知識』など。
書籍
| 書籍名 | アジア哲学入門 |
| ISBN13 | 9784326154999 |
| ISBN10 | 4326154993 |
