2026/07/24号 2面

ギュンター・グラス「言われねばならぬこと」

ギュンター・グラス「言われねばならぬこと」 杵渕 博樹著 依岡 隆児  イスラエルと核開発疑惑のあるイランとの間で緊張が高まる2012年、ドイツの作家ギュンター・グラスが「言われねばならぬことWas ge-sagt werden muss」という詩を発表した。これは両国に核査察を求めるという趣旨なのに、専らイランに先制攻撃しかねぬイスラエルを批判するように読まれ、ユダヤ系の人々の間のみならず、ホロコーストの罪過への責任からイスラエル批判が「タブー」とされるドイツ国内でも、激しいグラス批判を巻き起こした。  本書は、この論争を14年を経てあらためて取り上げ、現代におけるその意味を問うものである。イスラエル・アメリカ合衆国とイランの間で戦闘が現実に起きている2026年現在に、本書が出たのは、ある意味、タイムリーなことだっただろう。両国によるイラン攻撃が現実のものとなった現在から読み直すと、この詩をめぐる論争が当時とはまた違って見えてくるのである。  本書は、詩の解説、作者グラスの紹介、論争の概観と結語からなり、巻末にドイツ語の原詩を付している。この詩をめぐる論争は、ドイツの文献(『言われたこと―ギュンター・グラス 言われねばならぬこととドイツの論争に関する記録』(ハインリヒ・デーテリング、ペゥ・エァゴー編、2013年))を元にまとめているが、個々の生々しい論説の応酬に小気味よいコメントを付しながら、詩ならびにグラスへの批判のパターンを手際よく分析、整理してみせている。  また、著者がギュンター・グラス研究者であるため、本書は論争の問題点を解説し、詩の背後にある事情を鮮やかに浮かび上がらせている。1971年のグラスのイスラエル訪問、その後に書かれた『カタツムリの日記から』におけるダンツィヒのユダヤ人の話、1973年の新聞記事「イスラエルと私」でのイスラエル批判、『女ねずみ』に描かれる核戦争のヴィジョン、自伝的小説『玉ねぎの皮をむきながら』でのナチス親衛隊員だったとの告白とグラス・バッシング、そしてドイツからイスラエルへの核ミサイル搭載可能な潜水艦の輸出問題を取り上げながら、この詩がグラスの活動や作品から自ずと生まれたものであることを丁寧に示している。グラスは従来、ホロコースト問題に真摯に向き合い、ドイツの過去を反省し、その罪を自覚し続ける作家とみられてきた。そのグラスが、ユダヤ人批判をしているわけでもないのに、この論争では多くの論者から反ユダヤ主義者とレッテル貼りされ、イスラエルから入国拒否措置まで受けてしまったのだ。  論争のあり方自体を、このように振り返っていると、ドイツの論争文化はいまや、損なわれつつあるのではないかと思えてくる。論争は「弾劾遊び」や「グラス叩き」に堕してしまったかのようにも見える。しかし他方で、そのことを記録するこうした本が日本でも出ること自体がまさに、いまだ残るドイツの論争文化の健全さを物語っているとも言えるだろう。  本論の最後に置かれた「十四年後の暴虐と悲惨を前に」の章では、この論争にはユダヤ人からの批判の切実さが感じられる反面、ドイツ人からはグラスへの見下し馬鹿にするような個人攻撃が多く見られると指摘する。一方で、著者は論争を振り返るに、グラスが嫌われていたというだけでなく、核心はドイツとイスラエルとの関係であったとし、これはドイツ人の論者たちの琴線に触れる問題であったからこそ、これほどの論争になったのだと分析している。この詩は、単なるイスラエル批判ではなく、核兵器の脅威に対するイスラエル批判を前提としたドイツ批判だったのだという。そのうえで、「論争の核心はやはり、ドイツとイスラエルとの関係だったのだ。それは多くの知識人を当惑させ、苛立たせる話題なのだ」(139頁)と総括する。  この両国の関係が突きつける「ホロコーストと核兵器」の問題こそが、グラスが一貫してこだわり続けたことだった。この論争を2026年現在において見直すとき、本書を通してあらためて見えてくるのは、まさにこのいまだ解消されていない問題なのである。(よりおか・りゅうじ=徳島大学教授・ドイツ文学)  ★きねふち・ひろき=東京女子大学教授・ドイツ現代文学。

書籍

書籍名 ギュンター・グラス「言われねばならぬこと」
ISBN13 9784911290088
ISBN10 4911290080