レトリック思考
ロビン・リームス著
友繁 有輝
「多様性」という言葉が人口に膾炙してから、どれほどの時が経っただろうか。ここ最近、この言葉は消しゴムではないか、とふと頭をよぎることがある。何気ない会話の中で「多様性だから」という言葉により、議論そのものが消されてしまう。そんな経験をした人は少なくないだろう。異なる意見に対して持ち出される「多様性」は、物事を深く考えるよう促す概念ではなく、相手の意見を消し、「すべての意見はよい」という言説で上書きするために使われているようにも見える。このような言葉の語法は、表面的には寛容さを装いながら、実際には二項対立的な物の見方に立脚し、相手を説得しようとするレトリックの一種である。
本書の著者ロビン・リームスは、古代ギリシャのレトリックにおける言語と形而上学を専門とする研究者である。本書では独自の概念「レトリック思考」を軸に、分極化した現代アメリカ政治にメスを入れる。著者が掲げるのは、オール・オア・ナッシングの観点から相手を打ち負かすのではなく、いかにして対話へと移行できるのか、という問いである。
著者によれば、「レトリック思考」を手に入れるためには、言葉に対する受動的な態度を克服し、意識的かつ能動的に反応していく必要がある。つまり、相手の言葉をそのまま受け取るのではなく、その言葉がどのような世界観や価値観を前提としているのかを問い直すのである。「なぜ人々は異なる政治イデオロギーに納得し、それを信じるようになるのか」を解き明かすことで、対立する双方の思考の捩れに気づくことができる、というわけだ。
著者は、普段は気づきにくい言葉の背後に迫るためには、まず議論の表層を分析し、そこに繰り返し現れる共通のパターンや構造を見抜く必要があると説く。意見の食い違いを生み出している前提を明るみに出せば、なぜ議論が対立しているのか、また、その違いがどこから生じているのかを、より深く理解できるようになる。
その前提を支えているものの一つが、隠喩である。隠喩は無意識のうちに私たちの思考を操り、ときに行動へと誘う。広く浸透し、もはや隠喩として意識されない言葉の使用に、戦争の隠喩がある。政治や社会問題を語る際に戦争にまつわる語彙が使われることで、何が「敵」として認識され、人々の間で共有されているのか、そして時代に応じてその「敵」がどのように移り変わっているのかを観察することができる。
例えば、著者は2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロを引き合いに出し、ブッシュ大統領がテロを単なる犯罪行為としてではなく、「対テロ戦争」という隠喩によって描いたことを取り上げる。この言葉の選択が、外国への侵攻・長期占領といった政策を正当化しやすくする働きを持っていたと論じている。隠喩は単なる言葉の飾り付けではなく、行為そのものを促す力を持つのである。
現代社会は、政治的・文化的な集団が同質化し、自分と意見の合う人だけに囲まれる傾向が強まっている。その結果、人々は社会が直面する問題について話し合うことが難しくなってしまう。「レトリック思考」は、そのような閉塞のなかで、思考の道筋や対話の方向性を開いてくれる。著者は、この思考法を身につけることで、二分法な捉え方から離れ、怒りに支配されずに議論し、書かれた言葉をじっくり読み、さらには話し方や目標の立て方まで変化していくと述べている。
本書は、隠れたイデオロギー的前提を見抜く手法を、豊富な事例を交えながらわかりやすく解説しており、読者の好奇心を刺激する。議論の中心は現代アメリカ社会に置かれているものの、日本の政治やメディア言説に照らし合わせながら読み進めることも十分可能である。「多様性」が謳われる今日、対立する意見を前にして一歩立ち止まり、双方の議論の前提を吟味しようとする姿勢は、ますます重要になってくるだろう。本書は、分極化が進む現代社会において、対立を対話へと転換するための視座を与えてくれる一冊である。(道本美穂訳)(ともしげ・ゆうき=神戸薬科大学講師・認知言語学・談話分析)
★ロビン・リームス=イリノイ大学シカゴ校の英語学准教授・修辞理論・思想史。
書籍
| 書籍名 | レトリック思考 |
| ISBN13 | 9784794980533 |
| ISBN10 | 4794980531 |
