- ジャンル:政治・法律・社会
- 著者/編者: ロバート・ジャーヴィス
- 評者: 松岡美里
国際政治における噓と曖昧性
ロバート・ジャーヴィス著
松岡 美里
ロバート・ジャーヴィス『国際政治における噓と曖昧性』(阿部大樹訳、みすず書房)は、原著 The Logic of Images in International Relations(1970年)の初の日本語訳である。ジャーヴィスは政策決定者の認知や心理が国際関係を左右することを論じ、政治心理学を国際政治分析の中核に据えた第一人者である。本書はその出発点に位置し、後の主著『国際政治における認知と誤認知』へとつながる理論的基盤を示している。
本書の中心的な問いは、国家が他国の目に映る「心証」をいかに形成し、維持し、操作するのかである。ジャーヴィスは第二章で、従来の「言葉」と「行動」という二分法について、いずれも曖昧でコストをともない、偽計にも用いられうるがゆえに、分析上有効ではないと指摘する(17―18頁)。代わりに提示されるのが、意図的に操作可能な「シグナル」と、操作が困難で状態そのものを露呈する「インデックス」の区別である。もっとも第三章によれば、インデックスもまた人為操作を免れず、それが露呈すれば信憑性は失われる。
本書の核心は、de-ception(本書では「噓」と訳される)を単なる真実の否定として扱わない点にある。噓が効くかどうかは、発信者が何を言ったかではなく、受け手が何を信じたかによって決まる。虚偽が見抜かれれば効果はなく、事実を述べても別の意味に受け取られれば欺瞞は成立する。だからこそ第四章「噓つきは制約される」の逆説が生きてくる。受け取り方に左右される以上、噓をつく側も好き勝手には振る舞えない。一度噓が露見すれば以後の発言も信用されず、評判が行為者を縛る。第五章の説く外交辞令の曖昧性もまた、食い違う解釈を両立させて決裂を避け、合意への道を残す。第六章によれば、シグナルの意味は当事者間の慣習にすぎず、結びつきを解くデカップリングでコミットメントを破棄することも、結び直すカップリングで相手を遡及的に縛ることもできる。第七章はこれをインデックスの解釈にも広げ、相手の挑戦を回避し、安全に撤退する道を示す。
刊行から半世紀を経てなお、本書が国際関係論や安全保障研究で参照され続けるのは、現在の国際政治を読むうえでも有効だからである。例えば、高市首相の台湾有事をめぐる国会答弁は、戦略的曖昧性が明示化された局面として読める。曖昧な表現は交渉の余地を残す一方、どの程度の拘束力を持つかは、相手の受け止め方に左右される。いったん発した言葉の撤回には政治的コストが伴う。トランプ政権の対イラン政策も同様である。予測不可能性を演出する言明や限定的な軍事行動は決意のシグナルとなりうるが、送り手の意図どおりに受け取られるとは限らない。問われるのは、何を発したかではなく、相手の側でどう受け止められるかである。
本書の議論をさらに先へ進めるとすれば、そもそも何が「脅威」とされるのか、という問いであろう。経済安全保障やサイバー空間、AIを含む先端技術の管理までが安全保障として論じられる今日、問題が安全保障の対象へと組み込まれていく過程を捉える安全保障化の視点は欠かせない。核時代を論じる第八章の「『安全保障領域』は拡大していない」(244―250頁)という命題も、ここから再検討を要する。何がシグナルとして受け取られ、いかなる心証が生まれるのか。本書の見方は、それを解きほぐす手がかりであり続ける。
本書は、ベルリン危機やキューバ・ミサイル危機、執筆当時のベトナム戦争(第九章)など冷戦史の具体的な場面を取り上げつつ、日常のやりとりにひそむ駆け引きといった身近な例も交える。シグナルや心証といった抽象的な概念を具体例に即してかみ砕くため、理論書でありながら最後まで読み通せる。訳注、訳語ノート、訳者あとがきも充実しており、日本語のまま丁寧に確かめながら読み進められる。外交や安全保障を学ぶ学生や実務家、そして一筋縄ではいかない国際情勢を読み解きたい読者に薦めたい。(阿部大樹訳)(まつおか・みさと=帝京大学准教授・国際関係論)
★ロバート・ジャーヴィス(一九四〇―二〇二一)=米の国際政治学者。認知心理学の観点から国際関係・インテリジェンス活動をめぐる先駆的研究を行なう。著書に『複雑性と国際政治』『核兵器が変えた軍事戦略と国際政治』など。
書籍
| 書籍名 | 国際政治における噓と曖昧性 |
| ISBN13 | 9784622098508 |
| ISBN10 | 4622098504 |
