2026/10/16号 4面

それはどこでも起こり得る

それはどこでも起こり得る ブレイディ みかこ著 渡辺 一樹  本書は、「言葉を解きほぐす」をテーマに、ある言葉が社会のキーワードとなっている事情を分厚いジャーナリズムによって分析する。日本独自と思われていた「自己責任」が英語でも近年用いられると言う事実、あるいは「リマイグレーション」――移民を出身地に強制的に追い返す――という語の拡大など、その分析の豊かな成果は多くの読者にとって大変示唆的であるだろう。その分析の対象は驚くほど幅広く、カフェやタクシーの会話、30年前のトニー・ブレアの選挙CM、大学のオープンキャンパス、政治家のツイートが縦横無尽に論じられる重厚な文化論になっている。イギリスの議会政治や階級社会の息遣いを、批判的な観点によって活写するという著者の長年の達人芸が、「言葉」というひとつの筋のもとで、見事にまとまっている。しかしそのトーンは、排外主義とテクノ支配の進行の中で、ただしくも悲観的である。  評者が最も関心をもって読んだのは、第六章のアナキズム論である。近年の日本の人文書における「アナキズム」ブームを牽引してきたひとりである著者が、いま何を語るのか、気になっていたのである。「アナキズム」は、著者も依拠するグレーバーの功名とともに、かつて帝国日本が殺戮の対象とした思想からは想像し難い市民権を獲得した。とはいえ、このブームに政治的な意味はあったのか。一方でアナキズムは徹底的に脱政治化されて「ていねいな暮らし」めいたものへと転化し、他方で「アナキスト」が二言目に「ファシスト」を名乗ることが許されている。繊細な政治的感覚のもとで成立していた「ノンセクト」の、規模としては小さくともたしかな運動を育んでいた地盤が、崩れたのではないか。  本書は、「言葉」の使い方に注目しつつ、アナキズム――権力を否定する思想――に新たにふたつの意味を付与する。第一に、「折り合いがつくまでとことん話し合う構え」である。ゼネストを嫌う保守派に対して「休日」と呼称することで妥協を図った、アイスランドの「女性の休日」のように、アナキストは合意を何より重視する。第二に、アナキズムは「力」であって「権力」ではない。すなわち、アナキズムは、対象をもつ支配権力である「〜に対する力(power over)」から区別されて、対象をもたない生命力や主体性としての「〜の力(power of)」を取り戻そうとする自治の思想なのである。根気強く話し合い、まるで「反抗期の子ども」のように自分の力を信じて構造と戦う個人は、すでにアナキストである、と。  だが、本書の議論は、「アナキズム」の問題を再演するものではないか。その問題とは、ひとつには、概念規定が緩かったことである。「話し合う構え」にしても、何をどこまで話し合うかは、それ自体として問いだろう。グレーバーの典拠であるところの反グローバリゼーション運動(反グロ)が、「会議で疲弊した」と批判的に回顧されたことを考えれば尚更である。あるいは、全会一致への固執は、フィリバスターのリスク、相互不干渉の原則化を招く。反グロは、「戦術の多様性」というお題目のもと、固有の目標をもつ各グループの個別行動を容認せざるを得ず、各個撃破されていった。  関連するいまひとつの問題は、アナキズム言説がライフスタイル化する中で、それがもっていた運動との本質的なつながりを失ったことである。グレーバーの多くの著作は、反グロと伴走し、オキュパイへと向かうためのものだった。著者も幾度か注意するように、近年のアナキズム言説に対しては、「新自由主義・個人主義」との誹りがある――それもゆえなきことではない。ライフスタイル・アナキズムにおいては、そこから運動へと向かう動線が最初から失われているために、読者の出口は空疎な「力」「主体性」を誤認することだけである。それは大抵、ただの向こう見ずか、資本主義の枠内にある。そのような「力」(「〜の力」)や「主体性」ならすでに、排外主義の街頭行進の方により苛烈な仕方でそなわっているはずだ。  著者がただしくもその言葉に拘りつづけるように、われわれが立ち戻るべきなのは、階級闘争である。それは、SNSや言説ゲームの世界などゆうに飛びこえて、すでにそこにあるはずだ。イギリスでどんな運動や闘争がなされており、それは具体的にどんな戦略と戦術によって力を共有しているのか。形式的なアナキズム――それは右翼すら区別できない――ではなく、そこにある階級闘争に根ざしたあまりに具体的なアナキズム。それは、テックエリートの陰謀や政治家の遊戯といった資本の猿芝居から自由に運動しながら、しかしそれらを撃つものである。具体的な運動と闘争から立ち上がるアナキズムを、次は読んでみたい。(わたなべ・かずき=三重大学助教・哲学)  ★ブレイディ・みかこ=ライター・コラムニスト。一九九六年からイギリス在住。著書に『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』など。一九六五年生。

書籍

書籍名 それはどこでも起こり得る
ISBN13 9784163921235
ISBN10 4163921230