2026/04/24号 5面

生を見つめる翻訳

生を見つめる翻訳 久野 量一・千葉 敏之・真島 一郎編 管 啓次郎  外国語大学とは、なんと魅力的な響きだろう!学生たちはひたすら、ひとつあるいは複数の外国語を徹底的に学ぶ。専門化・細分化された知の枝がその先にどれだけひろがろうと、ことばを学び、読み書き話すという訓練を経るとき、学習者の頭の中にはずぶとい知識の世界樹の幹がいやでも育ってゆく。ことばが描き出す紋様は板根や気根をもつ南の樹木のように錯綜し、いたるところに相互の呼応と反響を見出し、ふだんは隠れているさまざまな関係の網の目を教えてくれる。やがては、われわれが生き、人々と、他の生命と、鉱物と、共有する「世界」そのものと一致するだけのひろがりと深みをめざして。単科大学における外国語の勉強には、それだけの射程があり、野心があるだろう。東京外国語大学、その前身は東京外国語学校。さらに遡れば徳川幕府の蕃書調所、洋学所、蛮書和解御用。書物を調べ、学び、解することを目的とする場の性格が名称にはっきりと書き込まれ、想像するだけで夢見心地に誘われる。  その場の中心的な営みが翻訳だということも、容易に想像できる。物質的に構成された世界を、われわれは言語によって把握する。ヒトの言語は生態学的ニッチに対応するかたちで複雑化し、それぞれの実用の歴史によって鍛え上げられ、多様性を獲得してきた。異なったことばが切り分ける世界表象の先に、もういちどその基盤にあるモノ=コトの世界の統一性をとりもどそうとする営みが翻訳だ。だったら、人間の世界構築=把握=理解にとって、これほど根源的な活動もない。  『生を見つめる翻訳』という秀抜な書名をもつ本書は、東京外国語大学百五十年の歴史を彩る多言語多彩な翻訳者たちの営みをふりかえる一冊だ。定義上、この大学に関わるすべての学生や教員が翻訳と無縁ではありえないわけだが、本書に名前が記される翻訳者たちは、論じられる側も論ずる側もその群像の代表的な人々だといっていいだろう。中途半端な文学の学生だったころのぼくにとって個人的なスターだった岩崎力や河島英昭をめぐる論考。どんな標準に照らしても偉業というしかない前嶋信次訳『アラビアン・ナイト』やあの途方もない「大航海時代叢書」の内幕。現代チベット文学やインドネシアの大作家プラムディヤ・アナンタ・トゥールへの接近。その他すべて、たくさんの果実、芳しい草。通常の意味での「翻訳」(二言語間でなされる書字言語の移し替え)に少しでも興味を覚える人にとっては、まさに巻措く能わざる好著だ。  なかでも、現代の文の風景(文学の、思想の)において確実な一角をしめる四人の翻訳者へのインタビューは、いずれも示唆に富む。「神の言葉は人間には理解できない。ヘルメスはそれを人間の言葉に表して伝える。その営みが翻訳だとすると、オリジナルとは何か、原文とは何かということが当然問われる。けれども神の言葉は『原文』ではなくて、人間の言葉としては『ない』わけです。翻訳というのは、けっきょくそんなヘルメスの役割をになう営みなんだと思います」(西谷修)。「クラシックをクラシックにしてしまうと死んでしまう気がするんですね。やっぱり生きているというか、生き返らせるというか。クラシックとして訳すから作品がクラシックになるのではなく、今読んで面白いからクラシックだと思うんです」(野谷文昭)。「社会が変わるためには、革命といってもいいんですが、どうしたって政治というのが大きな面構えで前面に出てくる。でもそれはあんまり本質的な社会の変革とは関係がない。人間が政治というものの扱いに成熟していないから、どうしようもない権力者が出てきて、革命といっても上っ面なところで終始してしまう」(太田昌国)。「思想家としてのヴィーコにわたしが惹かれるのは、時代にたいしてつねにアイロニカルな態度をとりつづけている点です(……)バロック人としての要素を高く評価するのです。ある意味で古典の形を崩していくようなところがあって、それで初めて現代性を帯びてくるというか」(上村忠男)。  以上のような認識には、翻訳の経験がなければ誰もたどりつくことはないし、翻訳の経験はいったん始まればずっと、終わりなくあらゆる現在においてつづく。精神の活動においてハッとする瞬間があるたび、そこには必ず翻訳という名のかたちと意味の変容が関わっている。あるいは翻訳において、文には文学であるか否かを超えて文学となる、といったところがあるとも思う。パレスチナの状況をめぐる重要な発言をずっとつづけてきた岡真理のことばを最後に引用したい。「アラビア語の小説が日本語に訳され、韓国語の小説が日本語に訳され、私たちはその両者を読みうることで、ヒューマニティが完全崩壊したとされるこの世界でなお、人間として生きつづけるための細い糸を手繰り寄せることができる。世界にあるすべてが、太ももから切断された、ナディヤの脚の悲しみにうち震えるために。ただ涙するだけの悲しみではなく、世界に対する挑戦として、失われた脚を取り戻すにも似た何かとして。文学も、翻訳も、そのためにあるのだと思う」  深く胸をつかれた。(すが・けいじろう=明治大学教授・比較文学・詩人)  ★くの・りょういち=東京外国語大学教授・ラテンアメリカ文学。  ★ちば・としゆき=東京外国語大学教授・ヨーロッパ中世史。  ★まじま・いちろう=東京外国語大学教授・文化人類学。

書籍

書籍名 生を見つめる翻訳
ISBN13 9784910635224
ISBN10 491063522X