2026/09/18号 3面

橋川文三読本

橋川文三読本 宮嶋 繁明著 梶尾 文武  かつて三島由紀夫は「文化防衛論」(一九六八年)をめぐる論争のなかで、橋川文三から差し向けられた同論文への批判を「もっとも誠実な二重スパイの論理」と評したことがあった。  『日本浪曼派批判序説』(一九六〇年)にはじまる橋川の批評が、戦時超国家主義へと帰結していった日本の反近代の思想と美学を内在的に検証し、それらを戦後の言説空間による抑圧から解放するものであったことはよく知られている。だが、三島のように天皇制の岩盤へと美学的に回帰することも、あるいは左派批評家、たとえば針生一郎のように日本浪曼派=三島的な「政治の美学化」を断罪することも、橋川の選ぶところではなかった。橋川の言説は、文学的・美学的な情動と社会科学的な客観性との間に生じる緊張を、つねにみずからの方法として引き受けている。三島が「二重スパイ」と呼んだ所以である。  本書は、明治大学で橋川文三の薫陶を直接に受けた著者による五冊目の橋川論である。『橋川文三と三島由紀夫』以来蓄積されてきた橋川についての資料とテクスト解釈を踏まえながら、本書は橋川と他の文学者・知識人との思想的交渉について検証し、その思想史的位置を明らかにしている。  橋川と渡辺京二の関係は、無名の学生だった渡辺が橋川の一文への感想を新聞に投書し、橋川がこれに応答したところからはじまったという。橋川は『日本残酷物語』の読後感として、「そこに見られる特色は、戦争の全現実が「小さきもの」の存在と等量に描かれていること」だと看破しつつ、「民俗学的方法と社会科学的方法の習合によって、歴史の残酷さとその中の救拯(きゅうしょう)とをともに記述するということは、不可能であろう」と記した(「歴史における残酷」)。若き渡辺は、これを「そういってしまってそれでいいのですか、橋川さん」と糾問したのだった。社会科学的な俯瞰的・客観的な視点を手放しきれない橋川の歴史記述に限界を見たからであろう。  のちに水俣病闘争に関わりつつ石牟礼道子の『苦海浄土』の成立を支え、『小さきものの死』を著した渡辺にとって、橋川のいわゆる「小さきもの」の「救拯」は、思想から切り離しえない契機であったと考えられる。著者は一連の経緯を記述した上で、ここに「行動家」でもあった渡辺と、政治的行動とは無縁のままだった橋川との異質性を観取する。他方で本書は、同世代の小説家である井上光晴と論争を戦わせ、井上が攻撃した北一輝や三島由紀夫を擁護する橋川の姿を活写している。本書が記述するこれらの思想的角逐は、社会科学者としての禁欲と美学的な情動との拮抗を生きた橋川の、三島が言う「二重スパイ」的な複眼性を照らし出している。  本書のいまひとつの特質は、豊富な資料に基づき、橋川の思想を支えた知的ネットワークを可視化している点である。鶴見俊輔との関係については、思想の科学研究会を基盤とした思想的交通が記述され、橋川の柳田国男研究が鶴見による働きかけを契機として成立した過程が明らかにされている。また、松本健一との関係を論じた章では、明大の学生雑誌『駿台論潮』を介して、著者や赤藤了勇ら橋川ゼミの出身者が、松本主催の研究会に参加した経緯が記述されている。後藤総一郎との関係を論じた章は、『駿台論潮』を拠点とした明大の知的環境のありかたをより詳細に伝えているほか、季刊『柳田国男研究』(白鯨社、一九七三~七五)の刊行経緯についても多くの情報を与えている。本書が伝えるこれらの事実は、戦後思想史の一角にジャーナリズム論的な観点から新たな光を当てるものとして貴重である。  本書に一貫するのは、橋川研究を志す後続世代への励ましの姿勢である。巻末の文献案内を含めて、本書に収められた豊富な資料をたどることは、戦後思想史のなかに橋川を位置づける上で不可欠な作業になるだろう。本書が後続世代に手渡しているのは、既成の政治的・思想的座標には位置づけがたい橋川の「二重スパイ」的な思考そのものを、いかに読み継ぐかという課題にほかならない。(かじお・ふみたけ=神戸大学准教授・日本近現代文学)  ★みやじま・しげあき=明治大学在学中に、橋川文三に師事。同大学卒。著書に『三島由紀夫と橋川文三』など。一九五〇年生。

書籍

書籍名 橋川文三読本
ISBN13 9784863293267
ISBN10 4863293267