2026/06/12号 5面

声と文字の人類学

〈書評キャンパス〉出口顯『声と文字の人類学』(菅野光)
書評キャンパス 出口顯『声と文字の人類学』 菅野 光  私たちは書かれた文字をいつから信頼し始めたのだろうか。カール・マルクスによる『共産党宣言』では「歴史」という言葉にエンゲルスによる註が付され、それが「書かれた歴史」であることが強調されている。書かれることでその内容は不変性を獲得する。それが歴史を保証するということなのだろう。   本書は、書かれた文字と声による言葉をめぐる世界中の事例や研究を挙げながら、現代社会における文字と声の位相を認識することを試みている。  文字の出現によって人間の思考方法に転換がもたらされたとして、書かれた文字と声による言語の間に境界線を引くことが、これまでの文字と声の言語をめぐる言説の前提となっていた。その前提の上で、声は文字に先立つという理由で改めて声の優位を訴える立場と、それに対して安易に文字を副次的なものとみなすことを批判する立場が、本書の第Ⅰ部と第Ⅱ部にて整理される。  口承文芸、声による文化として私たちになじみ深いものは、第六章で論じられる『平家物語』であると思われる。「祇園精舎の鐘の声」と小学生の頃の筆者も暗唱したものだ。『平家物語』の面白さの一つは、琵琶法師によって語られるという側面にある。しかし本書によれば、「編集・再構成された平家の物語は、再び琵琶法師によって語り継がれていく」。つまり、『平家物語』は書かれた文学でもありながら、口承文学でもあるという両義性の下に成り立つのだ。  最終的に本書が提示するのは、現代の文字と声の空間を、文字か声かという二元論を包摂する「砂の本」として捉えることである。著者はアルゼンチンの作家ボルヘスの小説『砂の本』の、次々と内容が湧き出るが二度と同じ内容を見ることができないという内容を紹介し、書かれたものに対して注釈者や読者の声によって書き換えられる物語は、再び同じ顔を見せることはない「砂の本」であると概念化する。元のテクストに複数の人物が文字を投入し、あるいは声を反響させることで「砂の本」が成り立つ。ここには、書かれた文字による不変性と、声による可変性が同時に作用する空間が見て取れる。著者が指摘する様に、「砂の本」は極めて両義的な性質を持つ。先に挙げた『平家物語』も、ある種の「砂の本」的な日本文学であると考えられる。  そして著者は書かれた文字と話し言葉という分断された境界を揺るがすものとして、SNSにおける言葉を、「砂の本」の一つとして取り上げている。書かれた文字と話された言葉は分断して考えられるものでもないし、また書かれた文字に絶対的な優位性があるわけでもない。本書が意図するところは、SNS上に現代の文字・言葉の有り様を捉えるところから、文字と声に対する既存の二元論的枠組みをずらし、改めてその関係を考え直すことであろう。  筆者が研究しているアフリカ人作家の小説には、声による言葉が散文に埋め込まれている。文字と声のコラージュ的構成が現代文学において再認識される状況は、著者の指摘する「砂の本」をほうふつとさせる。あらゆる作家の手によって、文字と声の境界を揺らがす技法が、小説という媒体において深められていることを、文学研究者としては無視することはできない。

書籍

書籍名 声と文字の人類学
ISBN13 9784140912843
ISBN10 4140912847