ペシミズムの時代とニーチェ
竹内 綱史編
内田 智之
世界が苦悩に満ちたものとしか思えず、それを弁神論的に正当化することも、彼岸における救済を信じることもできないとき、果たして、この世界で生きることを肯定することはできるのか。哲学史家フレデリック・バイザーによれば、神を前提せずに「この世界は生きるに値するか」という問題、いわば有神論以降の苦悩の問題に取り組むことが、ヘーゲル以降の一九世紀ドイツ哲学の中心的課題であった。バイザーはその動向をショーペンハウアーに始まり、実証主義や新カント派をも巻き込んでいく「ペシミズム論争」として叙述している。
本書『ペシミズムの時代とニーチェ』は、バイザーが提示した哲学史のなかにニーチェを位置づけ、有神論以降の苦悩の問題にニーチェの思索がどう寄与するのかを明らかにしようとする論文集である。三部構成から成る本書には、日本だけでなく海外の研究者による論考も収録されており、哲学史的文脈の参照や現代哲学の議論との接続など、様々なアプローチによって、「この世界は生きるに値するか」という問いの射程とこの問題へのニーチェの取り組みを浮かび上がらせている。第一部は、ショーペンハウアーを主題とする論考を中心に、バイザーによるペシミズム論争の概説も収録し、論争の争点を提示する。第二部はペシミズム論争の文脈を参照しながらニーチェのルサンチマン論や道徳批判などを論じる論考を収め、第三部の論考は反出生主義・人生の意味の哲学・フェミニズムといった現代的トピックのなかで、ショーペンハウアーやニーチェがもつ位置づけを検討している。
本書はバイザーの叙述におけるニーチェの欠落を補おうとするものだが、本書の狙いはバイザーへの応答にとどまらない、野心的なものでもある。なぜなら、本書は有神論以降の苦悩の問題を媒介に、現代の議論にショーペンハウアーやニーチェを接続することで、彼らの哲学がもつ現代的意義を明らかにしようとしているからである。本書はペシミズム論争が渦巻く一九世紀ドイツと、生きることの意味が問われている現代という、二つの「ペシミズムの時代」を射程に収めている。
だが、本書の特筆すべき点は、なんといってもニーチェをペシミズム論争のなかに文脈化する際に、一九世紀ドイツの実証主義者オイゲン・デューリングとの関係に多くの紙幅を割いている点であろう。第一部には付論として、デューリングの著書の抄訳と訳者解題が収められ、第二部では三本の論文がニーチェとデューリングの対決について論じている。バーナード・レジンスターの『生の肯定』をはじめ、ニーチェの苦悩論やショーペンハウアーとの対決などに焦点を当てた研究は数あれど、デューリングとの関係にこれほど注目しているものは希少である。そこで、以下では、ペシミズム論争を参照することによって「ニーチェ哲学を理解する文脈が大きく置き移されることに大きな意味がある」という本書の主張の内実を、デューリングの重視という観点から考えてみたい。
苦悩の存在を直視し、「この世界は生きるに値するか」という問いに取り組む点で、デューリングはショーペンハウアーの問題を継承している。しかし、デューリングはショーペンハウアーとは異なる前提のもとでこの問題に取り組んでいる。彼は人間にとって苦悩が大きな問題になることを認めながらも、苦悩が世界全体に取り消し不可能な仕方で存在していることを認めない。第六章の井西論文によれば、デューリングにとって「不運に見舞われた者は人類全体から見ればあくまでも例外的な存在」であって、重要なのは苦悩を減らすように世界を改善することである。
一方で、そうした前提に立つがゆえに、デューリングはショーペンハウアーにあった洞察を欠いていると言えるかもしれない。ショーペンハウアーが指摘するように、世界全体の苦悩が問題になる場面は確かにある。例えば、自分の人生はつつがなく進行していても、他者の苦境を顧みずに、「生きることは素晴らしい」と述べるのには躊躇いを覚えることがあるだろう。第九章の竹内論文によれば、ショーペンハウアーはこれを世界全体の苦悩をその身に体験する「共苦」によるものとして理解するが、ニーチェは世界全体の苦悩というショーペンハウアーの洞察を、偏りなく世界を見ることに固執する道徳的な思考に由来するものとして捉えなおす。かくして、ショーペンハウアーからニーチェに至る系譜では、道徳的思考と生の肯定の間で生じるジレンマの問題が提起されることになる。
他方、苦悩を現実の行動によって対処されるべきものとして考えたからこそ、デューリングはルサンチマンという特異な心理現象に注目することができた。苦悩を被ると、その原因に関心が向き、苦悩の弁済を求める心の動きが生じる。デューリングはルサンチマンをこのように分析し、「正しさを求める感情は本質的にルサンチマン、すなわち反応的な感情である」と肯定的に評価する。反対に、第七章の谷山論文によると、ニーチェはルサンチマンを正義の根拠となる感情ではなく、他者への帰責を通じて苦悩に意味を与えようとする反応として分析したうえで、それを克服するべきものとして論じる。ニーチェのルサンチマン論は、デューリングとの対決の成果なのである。
ニーチェは、ショーペンハウアーから世界全体の苦悩という問題を引き継ぎながらも、デューリングとの対決を通じて、ルサンチマンの根源に苦悩を意味づけようとする人間的な渇望を発見する。この点で、ニーチェは「そもそも苦悩がなぜ問題になるのか」という問いに踏み込んでいるように思われる。人間は苦悩に意味を求める存在だからこそ、苦悩にあふれる世界を問題とせざるを得ない。この洞察にこそ、ペシミズム論争におけるニーチェに固有の位置づけがあり、哲学史的な観点からこれを浮かび上がらせる点に本書の意義の一端を認めることができるだろう。(執筆:クリストファー・ジャナウェイ・竹内綱史・齋藤智志・フレデリック・C・バイザー・大山真樹・オイゲン・デューリング・谷山弘太・アルド・ヴェントゥレッリ・井西弘樹・オリヴァー・ハーリッヒ・生島弘子・新名隆志)(うちだ・ともゆき=東京大学大学院博士課程・哲学)
★たけうち・つなふみ=龍谷大学教授・宗教哲学。著書に『ポストトゥルース時代の哲学』など。
書籍
| 書籍名 | ペシミズムの時代とニーチェ |
| ISBN13 | 9784812225134 |
| ISBN10 | 4812225132 |
